私と元担の話

 

 


先日、お題箱とやらで元担について聞かれたから、長々書こうかと思ってやってきました。紗子です。

 

 


前回の話とかぶるところは多々ありますが、大目に見ていただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな人を好きになったきっかけって、なんだかこう、色々あるもので。私の場合は漢字でした。
まっすぐに伊野尾担をしていたあの頃、田舎の高校生は雑誌の<フレッシュJr.大特集!>みたいなページを見るのが好きでした。毎月3冊必ず買って、フレッシュJr.のプロフィールを見ながら、「この子は◯◯くんに憧れてるんだ!」とか「この子は高校生で事務所入ったのか…」とか事細かにチェックした。


そこで出会ったのが彼である。萩谷慧悟くん。


いい機会だと思ってステマするけど、入所は2007年12月19日。SMAPのようになりたい!と自ら履歴書を送り事務所に入ります。初ステージはJUMP初のドームコンサートでした。


はじめは「同じ漢字が使われてる」という、ただそれだけの理由だった。知ったきっかけはただそれだけの理由だったけど、顔も好みで、ああ可愛い〜〜!とゴロゴロと沼に落ちて行った。私が沼に落ちた直後にHipHopJumpというユニットを結成することになる。

 

 



私と彼が初めましてしたのは、2009年の春だった。彼にとってはじめての遠征、JUMPのツアーで大阪に。当時彼は小学校卒業直後。学年的には中学1年、入学式直前ぐらい。まんまるで大福みたいだった。踊ることに必死で、呼びかけるオタクに振り返ることもなく。踊り狂いながら花道を進んでいく姿を今でも覚えてる。


彼はとんでもなく、まわりが見えなくなる性格だ。


その後はJUMPのツアーに行くと、必ず彼がいた。「遠くの自担より近くのJr.」思考だったもんだから、伊野尾くんが近くにいなかったら、萩谷くんを見た。見ればみるほどゴロゴロと沼に落ちていく。初めて生でソロパートを聞いた時は崩れ落ちた。となりの高木担に「立って💢」と怒られたのは忘れられない。


さて程なくして、彼はあるものと運命的な出会いを果たす。ドラムだ。いつだかの雑誌で「JUMPのコンサートでの裕翔くんを見て」と言っていたが、そうらしい。裕翔くんの影響で、ドラムを始めました。


その直後のサマリーでは、上の人に直談判し、ドラムとしての出番を作ってもらったり、当時Jr.内にあったバンドQuestion?のドラマーにアドバイスを貰ったり、彼は本気だった。なんせ、まわりが見えない性格だから。


だから彼は、ズブズブとドラムの沼にはまっていった。彼が見たドラマー裕翔くんは、裕翔くんだ。スポットライトが当たり、カメラにぬかれ、ソロパートも存在する。でもそれはデビューしてるから、人気があるから、裕翔くんだから、そうなだけで、彼みたいなバックバンドのドラマーはそうではない。


スポットライトは当たらないし、カメラには抜かれない。だってバックバンドだから。だって前にデビュー組がいるから。当たり前である。


沼にハマった彼は、明らかにダンスが下手くそになった。もともと上手くはなかったし、わりとクセのあるダンスだった。だけど私はそのダンスが大好きだった。ドラムにハマって以降、立ち位置がはしっこや後ろになることが増えた。おそらく彼は気付いていた。おそらくだけど。


それでも彼は、ドラムはやめなかった。まあ私も、ドラムを叩く姿も嫌いじゃなかったから、やめてほしいわけじゃなかった。

 


 

伊野尾くんを降りるきっかけとなったのは、Over発売直前のあの事件。その後はふらふらとし、伊野尾くんを降りる決心をしたのは2月末だった。その<降りる決心>をさせたのは、他の誰でもない、萩谷慧悟だった。


まず、2012年の年始のJUMPコンは、6回入った。間違いなく、萩谷くんを見るために。横アリと大阪、1週間で6回。大阪の立ち見は、彼の立ち位置が見やすい場所を求めてウロウロ歩いた。自分のメモを見返しながら「次の出番では、あの花道で下手側を向いて踊るから、この出番が終わって、次の出番までの2曲の間に下手側まで移動しよう」と何度も計算し、何度も移動した。この頃から、たぶん心は決まっていたんだ。

 


 

そして運命の2012年2月。この月は日生劇場A.B.C-Z座長公演<A.B.C座>という舞台が行われていた。もちろんそれに、萩谷くんも出演していた。当時はまだ中学生だったために8時以降はステージに上がれない。決して多い出番ではなかったけど、舞台で頑張る萩谷くんを見に、日生劇場に通っていた。その千秋楽。Jr.がメインで出演するドラマの話が出たのだ。そこに、萩谷くんの名前はなかった。ただ、萩谷くんと同じユニットに所属していた人の名前はあった。


すごくすごく悔しくて、布団の中で泣いたのを覚えてる。頑張ってるのになんでだ?どうしてだ?選ばれた子達もたしかに頑張ってる。なのにどうして?何度も何度も考えた。


HipHopJumpは田中樹、森田美勇人とか、ジェシー諸星翔希とか。わりと流動的なユニットだったが、田中樹と萩谷慧悟だけは、結成から解体までユニットに属していた。樹と一緒にセンターだってわっていた。所詮2番手なのは知っていたけど、それでも受け入れられなかった。


「私が応援してあげなきゃ」


その一心で、降りる決心をした。ただ好きなJr.に辞められた直後だったもんだから、Jr.に降りるのが怖くて、伊野尾くんは降りるけど、萩谷くん担当ではなく、ふらふらと萩谷くんを応援していくスタイルだった。と言っても、会う人会う人に「萩谷担じゃないの!?」と言われるレベルで萩谷くんのことが大好きだったし、正直彼のうちわ以外は持つ気なかった。持ってたけど。

 


 

正式に担当名乗る決心をしたのは、A.B.C-Zのサマリーだった。東京公演に安井くんたちとともにメインバックを務めていたのだが、名古屋公演にもつくと聞き、台風並みのスピードでチケットをかき集めた。掲示板、ツイッターmixi、ひたすら連絡を出しまくって、一枚もチケットがなかったのが気付いたら5枚ぐらいになっていた。


名古屋でなにがあったかというと<ふれあいタイム>だ。オタクは椅子に座ったまま、メンバーやJr.が客席をまわり、オタクと握手をしてくれるという企画だった。有難い、萩谷くんと握手をする機会があるなんて。1回目の握手は、名前を呼んだら握手をしてくれた、ただそれだけだった。だけど嬉しくて涙が出てきた。降りよう。そう決めた。それだけ、好きなんだ。


萩谷担初日は今でも忘れられない。運良く通路横のチケットを譲ってもらうことが出来、ふれあいタイムで萩谷くんが来るのを今か今かと待っていた。彼に私のうちわは見えている。どうしてって、私のうちわを見て「わかったわかった」と手を挙げたからだ。手招きしたのに。「後でね」と言わんばかりに手を振ってきた。正直イラっとした。その後、私の座る座席の通路に登場したのだが、反対側を向いている。私は彼のおしりしか見えない。待ってたのに。イラついたから、彼の力の抜けている左手を自ら掴んだ。それでも彼は反応しないんだ。慣れてるから。腹が立ったから、こっち向け!と手を引っ張った。彼はすごい顔で振り返り「わかった!わかったから!わかった!!」と引きながら何度も言っていた。正直、可愛かった。

 


 

その後は彼の現場にひたすら通った。ジャニーズワールドやフレッシュJr.コンサート、野球大会、キスマイツアー。彼が出ると聞けば、バイトは休んだし、たまに地方にも行った。レポを流してくれる人が少なかったから、自分で見るしかなかった。だけどそれが楽しかった。

 



彼の転機の1つは、山田涼介のミステリーヴァージンのバックについたことだ。岩本照、深澤辰哉、安井謙太郎諸星翔希、森田美勇人、そして萩谷慧悟。謎選抜とよばれた6人。彼はこのメンバーの中でダントツに踊れなかった。それでも息を切らしながら、遅れながらも必死についていこうとした。当時の少年倶楽部を見てもらったらわかるが、ミスヴァの後半は、彼はもうスタミナ切れだ。口は半開き、1列になるシーンで間に合わず、入るスペースもない。それでも彼は必死だった。


彼らの初の単独公演であるシアタークリエで行われたジャニーズ銀座。本当に本当に彼が楽しそうで、私も楽しくて、今思い出してもワクワクする。だって大好きな踊ってる彼がたくさん見れるわけだから。


ただミスヴァの宣伝期間も終わりしばらく経つと、ほぼ自然消滅することになる。岩本深澤は、もともとのユニットSnowManに。まあそれはそれでいいから、文句はなかった。残された4人(安井諸星森田萩谷)はオタクから謎4呼ばれ、4人で過ごすことが多くなった。まあ、思い返せばそこからだった。

 



私は、謎4が好きだった。今でも好きだ。萩谷くんのことを大切に大事にし、間違っている時にはちゃんと「違うと思うよ」とアドバイスをくれるお兄ちゃん的存在の安井くん。萩谷くんの話を熱心に聞いて、受け入れてくれ、萩谷くんがどんな(愛のある)暴言をはいても「まったくも〜〜そんな言葉つかわないの!」と優しく接してくれるモロ(諸星)。年は萩谷くんが1つ下なのだが、萩谷くんが見下している相手が彼、森田美勇人。「だってみゅーとさ!」「はぎちゃんさー!」と可愛い喧嘩を見るのがたまらなく好きだった。


この4人で過ごすことが増えると、ドラムセットに座ることも増えた。ドラムが叩けると、わりと仕事は増えた。ジャニワの感謝祭で、コンサートのスタートの合図が彼のドラムだった時は震えた。ドラムのおかげで、ドラマー役で深夜ドラマに出させてもらえた。コンサートの出番も増えたりした。だけどそれと同時に失うものもあって。ダンスナンバーでドラムを叩かざるを得ない場面もよくあった。「このダンス好きなのに!」「みんなでワチャワチャしてて可愛いのに!」それなのに彼はドラムセットに拘束された。

 


 

私は彼のドラムを叩く姿は好きだった。素直にかっこいいと思っていた。だけどそれはダンス:ドラムか8:2だった時であって、それが逆転するとつまらなく感じた。通常のコンサートでは、ドラムの音源は流れてる。それに合わせて萩谷くんはドラムを叩いている。つまり萩谷くんがいなくても平気。


ドラマのエキストラに行った時、「ハル(萩谷くんの役名)メインで撮るよ」と彼をアップで撮る時だけ、ドラムのミュートが外され、本気で叩く。それは死ぬほどかっこいい。あれはやばい。ただそれ以外は本気ではない。まあドラマの撮影は5時間とかぶっ続けで叩いてるから、全部本気だと彼は死ぬんだけど。コンサートとか、舞台の話でも、本気ではないわけじゃないだろうけど100ではない。85ぐらいかな。けどその25が重要で、100で叩くと彼も疲れるけど、見てるこっちも疲れるぐらいかっこよかった。


見栄えの話だからこそ、萩谷くんが拘束される意味が理解出来なかったし、悲しかったし、辛かった。だけど彼は、彼らは、売れるため、チャンスを掴むために、今Jr.に存在しない<バンド>として自身を売り込んでいくしかなかったんだ。


その間に私はカラフトに行き、carnivalに入り、京セラカウコンにも行き、戻ろうかな?でもなあ…と、踏みとどまっていた。

 


 

大きなきっかけになったのは、2016年5月6日のシアタークリエ単独公演だった。安井、森田、真田と萩谷くん4人での公演。初日ということもあり、ドキドキしながら入った。コンサートが始まり数10分、彼の姿はステージ上にない。いつもこの曲の時はいるのに、彼だけいない。おかしい。これはもしかして。その曲が終わると、たしか安井くんが「次は萩谷慧悟」的なことを言って(正直よく覚えてない)、ステージ上段から現れたのは、当たり前に彼1人だった。夢にまで見たソロコーナーだった。謎選抜でのクリエ以降、毎年毎年出演していたけど、ソロコーナーはなかった。だって人気ないから。同じ公演に出る安井や京本、ジェシー。コンサート尺は1時間半。人気どころにソロコーナーをやらせるのは当たり前で、とくにそれを不満にも、不思議にも思ったことはなかった。だって人気ないから。だけど毎年、来年こそは…!と思っていた。


彼が1人だとわかった瞬間、涙が止まらなかった。彼の歌声だけが会場内に響く。ボロボロ涙が溢れて、涙で前が見えなくなった。正直、何を言っているかわからなかった。それでも、彼がステージに1人で歌っている、その事実が辛いほど嬉しくて、まっすぐ前を見つめることが出来なかった。あの日のことは今でも忘れられない。その後の公演で今のユニットLove- Tuneが結成されることになる。

 



その後の夏のEXシアターでの公演は、行事前の平日が多く、行かない選択をした。唯一行ける日(早番)は、JUMP8月の横アリ初日だった。どっちに行こうか悩みに悩んで、横アリに向かった。そのかわりといってはなんだが、8月の代々木でのA.B.C-Zでのコンサートに入った。萩谷くんが出てるというから。えびの曲を踊る彼が好きだったから。だけどどんな彼の姿を見ても「好きだったなあ」という過去形でしか思い浮かばなかった。日替わりメドレーで<砂のグラス>が流れたのだが、それを踊る彼を見た途端涙が溢れてきた。私は、こうやって踊る彼を見たいだけなのに、どうしてこう、叶わないんだろうか。

 



森田担に誘われて(?)とりあえず入ることを決めた9月のDREAM BOYS。やっぱり踊る萩谷くんは好きだから、楽しかった。前半は。前半はね。ショータイムもわAAOを踊る萩谷くんを見て泣いた。やっぱり可愛い曲を踊る萩ちゃんが大好きだと。だけどその後は彼らのユニットのオリジナル曲を聴いて涙は引っ込んだ。あの曲を悪くいうつもりはないのだが、私には合わなかった。ただそれだけ。その後ご飯を食べながら担降りを決意した。4年と17日。

 


 

なんで降りたの?と聞かれたら、方向性の違いと答える。私が見てきたのは、キラキラ爽やか系アイドルだった。ジャニーズだから出来ることをやってほしかった。別にバンドを否定するつもりはない。JUMPだってバンドをしているし。だけどJUMPコンのバンドコーナーとそれ以外の割合って2:8ぐらいじゃない?それが逆になり、バンドが増えたらたぶん私は耐えられない。


彼らは悪くない。Jr.戦国時代と呼ばれている今、ダンスでも、アクロバットでも、人気でもどのユニットにも勝てない。唯一存在しなかったのがバンドだったんだ。彼らはバンドを選んで正解だったと思う。なんせ楽しそうだから。Zeepでのライブを掴んできたと聞いて、すごいなぁと思った。それなりに実力はあるんだろうし、彼らはバンドを選んで正解だったと思う。


ただそれは、集合体として、客観的に見た話であって、当時<萩谷担>としてみれば、私は嫌だった。


ドラムを選んだのは彼だ。ただ、彼のダンスの場を奪ったのは間違いなくドラムだ。彼はまわりがすぐに見えなくなるから、たぶん、ファンに求められていることとか、そういうことには興味ない。私生活でもそうだ。基本的にJr.の仲間とはつるまない。他の人たちが仲良くても、自分だけ誘われなくても気にしなかった。誘われたら行くけども、途中で「家でご飯食べるから帰ります」と1人で帰るタイプのヤツだ。たぶん誰がひき止めようが帰る。まわりに求められていようが関係ない。


そして彼はとんでもなく向上心がある。ドラムが上達するように、アドバイスをもらったり、部屋を防音にしてもらうだとか、電子ドラム買っただとか。だけど私は、その向上心が、たまに嫌になっていた。私はただ、コンサートを楽しんで欲しかった。だけど彼の雑誌のインタビューを見ると「今は◯◯のツアーにつかせてもらってるだ!すごく勉強になる!」「初めてセリフをもらったんだけど、言い回しが難しい!もっと頑張らなきゃ!」。それで?その先輩のツアーは楽しい?セリフもらえて嬉しくないの?そりゃ、わかる。わかるんだけど、それを言葉にしてほしかった。まっすぐに「楽しい」って。機嫌が悪いのは顔にも態度にもすぐに出る。彼を見てたら楽しいんだろうなとすぐにわかる。それでも言葉にしてほしかった。




そもそも萩谷担にはダメ出しをするタイプは少なかったように思う。私はツイッターでもブログでもズバズバ言った。気分の浮き沈みが割とある子だったから、舞台中に下ばかり向いてた日には、本当に不満を垂れ流した。本当に腹が立った時は匿名でファンレターを出したこともある。ダンス下手くそになった、ドラムばっかりやってんじゃねぇ、髪型似合ってないんだよと、悪口を綴って。最低な話だが、そうやって思っているファンがいることを知っていてほしかった。ドラムを叩く姿が嫌いじゃないことは必ず書いた。ただ、ダンスが見たいだけなんだと。読んでいたかは、わからないけど。だけど、褒めるだけのオタクにはなりたくなかった。


彼のことは、本当に好きだった。とくになにが出来るけではなかったけど、本当に大好きだった。東京ドームの花道を、両手を広げて気持ちよさそうに走る姿がなにより好きだった。この子はジャニーズになるために、アイドルになるために生まれてきたんだって、そう思ってた。どんな失敗も、可愛いなあって思えたし、他の人たちが萩ちゃん可愛いねえって甘やかしてくれるのも大好きだった。高校生になり、8時以降にステージに上がれるようになったこと、初めてセリフがもらえた舞台、彼のお仕事は基本的に抜けなく見てきたつもりだし、節目節目には、必ず立ち会えるように、コンサートに入るようにしてきた。それくらい大切な存在だった。


中でも、香取慎吾主演ミュージカル<オーシャンズ>は、最高の現場だった。Jr.の中でもメインをはることが多くなっていたころ、一心不乱に踊る姿を見れるあのミュージカルは、本当に楽しかった。大物俳優にかこまれ、出番は少なかったが大満足だった。こんな萩谷くんが見たかったんだと何度も思った。


降りるまでには悩んだし、たくさんたくさん泣いた。引かれるぐらい泣いた。コンサート行くたびにうちわも増えて、歓声も増えて、嬉しかったし、複雑な感情もあった。まあそれは、なんかこう、ヤーダー人気出てきちゃった!的なアレだと思うんだが。何度も何度も降りるかも、と思ったけど、それでも彼は私の手を離してくれなかった。オタク的気持ち悪い書き方をすると、最後に手を離したのは、間違いなく私の方だ。

 



「萩ちゃん萩ちゃん言ってるさこさんが恋しい」なんて言われることは今でもある。それぐらい、毎日萩谷くんのことを呟いてた。萩谷くんの幸せが私の幸せだった。萩谷くんが幸せなら、私はそれでよかった。だから、きっと今、彼が幸せなのだから、私はそれでいいんだと思う。