防振双眼鏡の話

 

いつの話やねん!って感じだけど、やっとこさ防振双眼鏡を買いました。見えないことはないけど、新しいの欲しいなぁ…とはずっと思ってたんですけど、なかなかきっかけがなくて。だけど出戻りして、ドームクラスやる人間を応援してる身として、この双眼鏡でいいの!?と自問自答。新しいの買おう、せっかく買うなら防振買うぞ!!!ってことで必死に調べました。

 

 

2時間ぐらい。

 

 

さあ!わたしが購入したのがこちら

https://cweb.canon.jp/binoculars/lineup/12x36is3/

Canonの12倍を買いました。定価12万ぐらいだけど、某密林さんでかなり安く買いました。

 

 

 

 

オタクが使ってる防振と言えば、Canonの10倍かビクセンの12倍のイメージ。じゃあなんでCanonの12倍を購入したのか……

 

 

 

調べていく中で「見え方でいうと、Canonの10倍とビクセンの12倍の見え方は同じぐらい」というブログ記事に出会ったこと。だったら12倍という肩書きのものを買う必要なくない?となり、この時点で私の中でビクセン12倍の選択肢は消えました。

 

もう一つは、職場のオタクの後輩に「防振買うべきですよ!?!!」と力説された上に、「今はCanonの10倍を使ってるけど12倍が欲しい。よく見えるとさらに上を欲する。」と力説されたこと。他にも「10倍買ったけどそのあとすぐに12倍購入した」なんてブログ記事も見つけて、これはもうCanon12倍しかないな!?!!ということで、さくっと購入しました。

 

 

 

 

★デメリット

①とにかく重い。660gらしいですけど、首から下げてると重い。一眼レフ用のストラップつけてます。それでも重い。

②でかい。小さい鞄に入らないから「天井だから身軽に」できない。常に660gと共に。キャリーでも場所を取る。

③近すぎると上半身しか入らない。良い席ならではの悩み。

 

 

★メリット

①見える!!!!それだけ!!!!自担の髪の動きが天井からでも見える。靴紐がほどけたのも見える。ふわっと微笑んでいるのも高画質で見える。あの画質で見たら、金額も、重いのも、全部チャラ。一回で元取れてます。

 

 

 

防振使い始めて1年経ちますが、正直他の双眼鏡は無理です。自分の手ぶれに酔いました。私は12倍防振と一生ともに生きていくことを決めました。

 

 

 

後日談?なのですが、職場の後輩(防振進めてくれた子とは別の後輩)に「今度ドーム行くのでよく見えるやつ貸してください!」って言われて貸し出したんですけど、返してくれた時に「よく見えたでしょ?」と聞いたら「はい!だからもうその場で同じの買いました!」と返事が返ってきました。よく見えすぎて欲しくなり、現地にいる間にネットで購入したらしいです。

台湾公演の一般発売〜超個人的な話〜





さて、私がオフィシャルツアーで参加したのは前の記事で書きましたが、チケットがあったのは2日目だけ。初日のチケットは一般発売でとりました。





台湾のチケットの一般サイトはこちら


いわゆる日本のぴあみたいなサイトです。



台湾との時差はマイナス1時間。
台湾時間の11時に発売開始です!といわれたら、こちらは12時です。



で、ここ。気をつけなきゃいけないのは、登録にパスポートが必須だということ。
台湾在住だと事前受け取りができるのですが、台湾以外の人は当日受け取りしか選べません。
受け取りの際にもパスポートでしっかりと身分確認とられます。パスポート番号登録してるからね。
だから友達に頼んで…なんて無理です。


そしてもうひとつ。
ここは登録してから1日経たないとチケットが買えません。買えるようになるとは24時間後です。
「やっば!一般発売今日なのに忘れてた!あと1時間あるから登録しよ〜〜!」ってのは無理。登録できてもチケット買えません。


あとはカード決済のみです。日本だと。




買い方は簡単でした。
なにもメモってないから書けないけど。




いろんなパターンがあるらしいんだけど、JUMPは自分で座席ブロックを選んで購入するパターンでした。
座席によって値段は変わります。
前の方からどんどんなくなるけど、ちょっと妥協するとわりとさくっと取れると思ってます。
残席数が見えるんだけど、悩んでる間にどんどん残席なくなります。




個人的になんじゃこりゃ!って思ったのは、後半、名前を入力してくれって書かれてて。
同行者の分も含めて何回も入力してしたんです。
だけど何回も「文字数がOverしてます」って言われて、いやいや名前しか入れてないやん!??!アルファベット数文字で文字数Overとかなんなん!??!名前入れにゃチケット買えんのか!??!って思ってたけど、イライラしすぎてそのまま次へのボタン押したら進めました。

後々落ち着いて読んだら「記念に名前印字できるよ☆」的なあれで、入力してなくても平気らしい。なんやねん。




あとは、1時間に1回再販があります。未入金分が再販→再販の未入金分が再再販…というふうにわりと何度も買えます。
何時から再販するよ!と表記してくれるので、1回目で買えなかったからといって諦めたらダメです。買えます。席を選ばなければ買えます。





前日の夕方に受け取り場所や時間、受け取りに必要な番号が送られてきました。
当日その付近に「ここかな〜」と近づくとだけで、お姉さんが「チケットの受け取り番号は?」と声をかけてくれました。英語で。
今出すから待って!これ?と中学生レベルの単語だけでなんとかなりました。
パスポート見せて、番号照らし合わせて、サインをして受け取ります。

19時公演だったのですが、受け取りへ14時〜19時でした。15時前に行ったらガラガラでした。




中国語も英語も読めないわ!!!って思ってても大丈夫。
勉強できない私でもできました。みなさんもできます。



ちなみに私はスタンド紫の後ろの方を選びました。人によりですが、ファンサもらえる距離です。リフターであがると尚更。
スタンドも傾斜がわりとあるので後ろの方でも外周部がよ〜〜く見えました。




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Hey!Say!JUMP台北オフィシャルツアーの話〜さくっと読みたい人向け〜







オフィシャルについて知りたいけど、あんな文字多いの読めねえよ!!さくっと読みたいんだわ!!って人向け




☆チケット(1公演分)、飛行機、ホテル、空港⇄ホテルの送迎、グッズ通販付き
・2泊3日、2日目の公演チケット
・飛行機、ホテルは選べない
・同行者と別々の空港から出発はできない



☆未成年同士の申し込み不可
・台湾には未成年のみでは泊まれません、たしか
・よって未成年同士の申し込み不可
・代表者が成人していれば、同行者として申し込み可能
・個人手配でも未成年同士はおそらく無理です




☆当選したら4万、1ヶ月後ぐらいに残金払います
・残金はカード決済可。前金はわかりません。
・残金は同行者とバラバラに支払い可



☆グッズ通販ができる
・事前に申し込みをし、コンサートまでに自宅配送
・不良品は現地に持っていけば対応してくれるらしい



☆飛行機、ホテルはギリギリまでわかりません
・だいたいの時間を絞って応募しますが、正確な時間がわかったのは出発の半月前
・利用空港のフライト予定表を確認したら2本ぐらいまでに絞れます


☆集合は出発の2時間前
・時間厳守


☆記念品
・クリアファイル
・キャリーにつけれるタグ
・ツアーパス
・ガイドブック
・写真たて
・メッセージカード
全部写真入り、一番下の2つは個人のID入り



☆チケットについて
・わりといい(アリーナ、もしくはスタンド前列)



☆台湾について
・困ったら誰かが助けてくれる
・突然片言の日本語で教えてくれる
・メトロは日本の電車っぽいからいける
・パスはSuica的なのでしか乗れないものもあるから、それを購入してもよい
・小籠包は美味しい
九份から台北方面の電車は、14時前のあとは16時前までないです、たぶん。
・失敗すると夜公演間に合わない危機になります
九份までの山道は暴走族のようなパスかタクシーで行くので、酔います。




☆総評
正直案内が来た時は14万か〜高いな〜個人手配なら半額だわ〜と思ってました。
どうせ行くけど、当たればラッキー!で申し込んで当たったんですが、結果的にオフィシャルで行けてよかったです。
たしかに高い。日本からの個人手配なら10万でお釣りがくる。
けどホテルまでのバス送迎とかグッズ通販、記念品諸々、いい席のチケットを確約されると思うと14万なんてむしろ安いと思ってます。

ただ、アジアツアーは毎回同じ内容だとは限りません。入金方法、グッズ販売方法、日程など変わる部分は多いと思います。全然ちがうじゃん!!!と怒らないでください。




いつか台湾ツアーに行く人のお役にたてますように。




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Hey!Say!JUMP台北オフィシャルツアーの話〜長々読みたい人向け〜





いつか、誰かの参考になれば!というよりも、自分の思い出として書き残します。




先日、Hey!Say!JUMPの台湾でのコンサートに、オフィシャルツアーで行ってきました!
海外旅行は15年前に家族で行ったきり。長時間飛行機に乗るのが苦手なので、行きたいともあまり思わず。
けどせっかくの台湾公演!当たったらラッキー!ぐらいの気持ちで申し込みをすることにしました。(外れても行く気だったけど)




日程は金曜日出発、土曜日コンサート、日曜日帰国のプラン。
土曜日出発、日曜日コンサート、月曜日帰国の2プラン。
飛行機は○時〜○時とアバウトな感じにわけられてました。
私は、せっかく台湾に行くなら2回とも入りたいと思っていたのですが、金曜日出発のプランだと絶対的に日曜日は入れない。
土曜日出発のプランでも、プランによっては土曜日の夕方〜夜に到着するので間に合わない。
なので土曜日の〜昼に到着する便に絞って申し込みをしました。

原則、日程を乱すような行為は禁止。日曜日帰国のプランが当たったけど、 入りたいから自分だけ帰りの飛行機かーえよ!は絶対なしです。




ちなみにスケジュールは
7月15日 締め切り
7月26日 当落
8月2日 4万振込締め切り
8月9日 グッズ通販のお知らせ
8月14日 渡航に関する書類発送
8月21日 書類返送決め切り
8月23日 残金入金締め切り
9月中旬 最終書類発送

こんな感じでした。





通常のコンサートと同様、4人まで申し込めますが、同一空港からじゃないと申し込めません。
自分は東京、相手は福岡に住んでるけど連番したい!っていうのは出来ません。
だけど東京に住んでても、羽田成田以外の空港からのルートで当選します。
一緒に申し込むと、同じ飛行機(連番ではない可能性もあると記載あり)、コンサートチケット、ホテルを手配してくれます。
一人でも申し込めますが、一人部屋がよければ2万追加で払うことになるそうです。




ルートによって金額は違いますが、前金の1人4万円は共通。その後の残金振込はそれぞれルートごとに違います。
お金は銀行振込のほかにカードでの振込も選択できました。前金のときには記載がなかったと思うのですが、残金振込の際は代表者、同行者それぞれの払い込み書が代表者の自宅に郵送されてきたので、バラバラでの支払いも可能でした。それぞれ別のカードで支払いをしたい場合は、記載してあるところに連絡をしてほしいと書いてありました。

私は気付かずまとめて払いましたが、まとめての支払いでも問題ないです。

当選の時に支払い先も教えてもらえますが、それと同時に個人情報も入力しました。名前、住所のほかに、旅行中の緊急連絡先(私は母にしました)、あとパスポート番号を入力するところもありました。「取得前」「取得予定日」を記入することも出来たので、この時点でパスポートは持ってなくても大丈夫。だけど8月中旬にパスポートのコピーを提出してもらうからね!との記載あり。





そしてありがたいグッズ通販!
昨年の関ジャニ∞のときは「朝から並んでも買えなかった」という話を聞いていたのでドキドキしてたので安心しました。しかも公演までに届けてくれる!うれしい!
なにより嬉しかったのは、同行者とは別に申し込めたこと。私の場合は同行者が遠方に住んでいるので、私が買って、相手に送って…ってなると私も怖いなぁ…とか思ってたので。
通販のHPとそこにログインするためのIDが送られてきましたが、これは代表者と同行者は違うIDでした。支払いはカードでもコンビニ支払いでも大丈夫でした。




8月中旬にはパスポートのコピーを送るための書類が届きました。
コピーして、サインして、貼って、送るだけ。
なんだけど、コピーを貼るための書類にも「取得前」の欄があったので、この時点でも取得してなくても大丈夫らしい(笑)
私はこの書類で同行者の分も含めてコピーを提出したのでわかりませんが、取得し次第はやめに送ってね的なことが書かれてありました。最後はどんな対応になるかはわかりません。

ただ問題は、書類の返送締め切りがすぐにやってくる!!!!水曜日に発送連絡があり、書類が我が家に届いたのが金曜日。締め切りはなんと次の水曜日。秒で送り返さないと間に合いません!!!!!不安すぎて速達で出しました。




9月の中旬になってから、やっと飛行機の正確な時間とホテルを教えてもらえます。これはJTBのマイページで確認できました。
それと同時に旅のしおり等々の書類の発送連絡が来ました。
そこに入っていたのは
・日程表
・旅のしおり
・クリアファイル
・ネームタグ
あとは海外保険とか、Wi-fiの案内とか諸々。クリアファイルとネームタグはオフィシャルの一人限定の特典です。

この時に、到着日の夕方、オフィシャル限定で台湾観光をセッティングしてくれるらしく、申し込みたい人は5000円を日本円で用意するように記載がありました。これは強制参加ではなく行きたい人だけ。申し込みもとくになく、参加したかったらホテルについたらツアーデスクに来てね!というゆるーいものでした。






ここまでが出発前。




さて、出発当日!
集合は飛行機のきっちり2時間前。時間厳守。団体カウンターでパスポートと日程表を見せて確認をしてもらい、台湾の入国の際に必要な書類とともに、メンバーの写真入りのガイドブックと、首から下げられるパスカード?って言うの?メンバーの名前と連盟で自分の名前も書いてありました。ツアー参加者の証明だけど、別に下げてなくても問題ないです(笑)それらがファイルにまとめられて人数分渡されます。

その中に荷物につけるタグも入ってます。名前の記載とともに、アルファベットと数字もデカデカと書かれていて、それは到着後のバスの号車番号だと伝えられました。これはキャリーに必ずつける。



受付後、チェックインをして荷物を預け、その後は自由行動でした。





台湾到着後は、とりあえず人の波にのっていけば大丈夫!と思いながら歩いてたけど、途中お手洗いに行って出たら、当たり前に人の波が、なくなっていて焦る私と友人(笑)英語はまったく出来ないけど、漢字を雰囲気で読み取れるので問題なかったです。

顔の確認と指紋認証をして入国。その後荷物受け取り。





荷物を受け取って外に出ると、各ツアーのガイドさんが「○○旅行」なんてプレートを持って立っているのですが、どこだろ〜と探す間もなく「Hey!Say!JUMP!!!Hey!Say!JUMP!!!」と叫ばれ、あっちあっちと指をさされます。
タグに気付き叫んでくれたようです。そっちに進むと3mおきぐらいにガイドさんが立たれてるので迷うことはないです。みなさん「おつかれさま〜Hey!Say!JUMPの人こっちね〜」と案内してくれます。

その後はバスの号車ごとに名前を確認し、整列、移動してバスに乗り込みます。ここで注意すべきは、絶対にバスを間違えてはいけない。このバス、ホテルごとに振り分けられています。一つのホテルに2台、3台とバスは向かうようですが、他のホテルに向かうバスももちろんあります。
出発前にしっかり人数確認はしてくれますが、最悪の事態にならないように、号車はしっかりと確認してほしいですね。ほんと(笑)





車内ではメンバーの声での車内アナウンス、ガイドさんからの注意事項、あと簡単なガイドブックも配ってもらいました。バスの車内でホテルのルームキーも配ってもらい、実質チェックインはなし。ツアーデスクの場所と注意事項をつげられ、解散。
チェックインは15時と言われましたが、15時以降勝手に部屋に入っていいよと言われたので、外出して深夜まで戻ってこなくて平気でした。

ホテルは会場から歩いて10分のところ。直線。迷わない。ぜったい。
古いホテルだったけど、部屋も広いし綺麗でした。お風呂場とトイレが異様に広くて、トイレするのがちょっと恥ずかしいのと、お風呂場のドアがうまく閉まらなくて、一度同行者が閉じ込められたこと以外は満足してます。足で蹴って開けました、ごめんなさい。
その後は要領をつかみ、自力で開けられるようにうまく閉められるようになったので、とくに問題ないです。ずっと半分しか閉まってなかったけど。




私たちはこのあとグッズを買いに行き、買ったものを部屋に置くために15時過ぎにホテルに戻り、一般でとったチケットで土曜日の公演に参加しました。





台北アリーナの感想からいうと、せまい!見やすい!とてもよい!

ただ入場列がすごくわかりにくい。ブロックごとに列が違うから、ふたつぐらい列が出来てたんですけど、どこが最後尾だか、どこに並んだら入れるのか入れないのかまったくわからず。
お兄さんに聞いて、言われたところに並んだけど、お姉さんに聞いたらここじゃないよ!?って言われることもしばしば。しばしばどころじゃねぇ。
もぎるところで「ここじゃないよ」と追い返される人もたくさんいました。スタンドとアリーナは入り口が違うので、ドームとかみたいにとりあえず目の前のゲートから入場して…はできません。追い返されます。




日曜日は午前中のうちにチケットを引き換えにくるように言われました。12時を過ぎると対応にしていただけないようです。
対応してくださったのはJTBのツアーの方でしたが、チケットを受け取る際は事務所側の意向で同行者も揃って全員でくること、そしてパスポートで身分確認をとられました。
事前に郵送されていた引き換え券とパスポートで確認してかれ、チケットを受け取り、ツアーの方の目の前で封筒を開封するように言われました。
お姉さんと2人で、目視で人数分入っていることを確認します。この時点で入ってなければ対応にしてくださるのだの思いますが、逆を言えばここで確認しなければ、あとあとチケットが足りなかった!と言われても対応しないよ。ということでしょう。

チケットと同時にホテルから会場までのバスのチケットも渡されます。乗るか乗らないかは自由、申告もいらないけど、乗るときはこれを見せてねと言われました。
私は午前中から出かけていたし、ホテルから会場は歩いて10分の距離だったので利用しませんでした。




私がオフィシャルに期待したのは、正直チケットでした。いいところが来ると。
場所はアリーナのセンステのあたりでしたが、まわりはほとんどオフィシャルの方たちでした。おそらく両日ともそのあたりに固められたんじゃないかな?

→オフィシャルで入った友人に聞いたら、どうやらスタンド出ているみたい。〜4列ぐらいしか話は聞かないけれど…。オフィシャルでの最後列は何列なんだろうか?そこは運だね。


結果的に伊野尾くん0ズレだったので不満はひとつもないです。





日曜日ホテルに戻ると、明日の朝帰国確認に来るようにと張り紙が。
翌月曜日の朝、帰国確認に必要なものを一人で聞きに行くと便名と名前だけで大丈夫と言われ、その場で同行者の分も含めて記念品をいただけました。
シリアルナンバー入りの写真をとメッセージカード。これは世界にひとつだけ。部屋で同行者と開封して、喜びを噛み締めました。

月曜日は飛行機のだいだい2時間10分前に集合がかれられます。1番はやいのは6時20分集合でした。
この方たちは5時半にモーニングコール、朝食も開始前なのでお弁当がつくそうです。
チェックアウトは12時。12時以降に集合の人たちはフロントで荷物を預かってもらえます。それ以前に集合の人たちは預かってもらえないようです。

私たちは観光に行くために9時すぎに荷物を預けて出発。集合ギリギリに到着。バスに乗り込んで、ここでホテルのツアーデスクの方々とはお別れ。ホテルの前で手を振ってお見送りしてくれました。ホテルの前まで見送りに来てくれた友人から話を聞いたら、送り出した後拍手が起こっていたそうで、それを聞いてなんだか泣きそうになりました。

空港ではチェックインと荷物を預けたあとは自由行動でした。いろいろあったけど。いろいろ。最後の最後までガイドさんにお世話になりっぱなしでした。最後は「ほら急いで!」と背中を押され、「ありがとうございました〜〜!!」と手を振りながら(走って)お別れをしました。優しい人たちでよかった。




この内容は、あくまでも私の飛行機、ホテル、チケットのお話です。1000人以上がオフィシャルツアーに参加されてますので、様々な方がいるかと思います。ほんの一例だと思って読んでいただければと思います。





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元担がジャニーズを辞めました



タイトルの通り、元担がジャニーズを辞めました。2007年12月19日の入所から、ピッタリ4000日。その記念すべき日に、辞めました。


数ヶ月前に「退所したらブログ書こう~~↑↑」なんて言ってたら、想像以上にはやくその日がやってきてしまったために、正直書くことは思いつきません。





ストレートに言いますが、私はLove-Tuneが好きじゃありません。退所の日、出来心で元担の名前で検索をかけたら「もうらぶが見れないのが悲しい(´༎ຶོρ༎ຶོ`)」「7人で歌ってるところがまた見たかったのに(ノ_<)」「解散つらすぎ( ;  ; )」なんてツイートばっかり並んでて、わたしはちっとも共感できませんでした。


いや別に、らぶ好きなことを否定するつもりはないし、らぶが見れない悲しい!って気持ちは別にそれでいいと思います。超上から目線だけど。


ただ私は!!!!アイドルをしている元担が見れなくなることがなによりも悲しかったです!!!!そんな人が数少ないみたいで、それも悲しかったです!!!!なによりなにより!!!!だいっすきなはぎじゅりちゃんが見れなくなるのが!!!!シンドイの極み!!!!





書きたいことはこれぐらいです。ぶっちゃけ。




元担との思い出はそれなりにあります。あんなことやこんなこと、全力でドン引きされたのもいい思い出です。まじありえない!!!!ってブチ切れたこともあるし、悔しくて悔しくてボロボロ泣いたこともあります。お仕事が決まったら飛び跳ねるほど嬉しくて、あんなに感情移入?して応援したのは、彼が最初で最後かもしれない。


いつかデビュー出来たらいいな、と思ってたし、デビューシングルをわくわくしながら手に取りたかった。シアタークリエで歌った、彼の人生で最初で最後のソロコーナーをこの目で見ることが出来たから、きっと、少しだけ、すっきりしてるんだろうけど、横アリとか東京ドームでソロで歌う姿を見たかったな~~。








あの人のすべてが好きでした。顔も。


花道を両手ひろげて走る姿も、踊ってる時に顎をくいってあげるのも、膝の角度も、ターンの時に腕がぴょこんってあがるのも、鼻の頭をぽりぽりしちゃうのも、ドラムスティックよく折っちゃうのも、素直すぎるところも、空気が読めないところも、じゅり!って呼ぶ声も、みゅーとさー!って言う声も、やっすー!って呼ぶ声も、全部全部好きでした。みんながもー!はぎちゃん!って名前を呼んでくれるのも好きでした。


今まで当たり前だと思ってた空間が、あっという間になくなるんですね。もう2度と、見ることが出来ないんですね。そんな悲しいことあるんですね。悲しいです私。


全部全部過去形です、だけど、大好きでした。彼が決めたのなら、それで彼が幸せなら、私は満足です。彼の幸せが、私の幸せだから、それでいいです。


いままでたくさん、ありがとう。絶対に幸せになってね。


元カレのコンサートに行った話

 

 

伊野尾くんに会えないから!!!!!紗子です。

 

 

 

いや、だから浮気しに行ったとかではなく。

そういえば文字に起こしてなかったなぁ、覚えているうちに文章にしておこうと思いまして。

元カレ・萩谷くんの晴れ姿を見て感じたことを書きますね。

 

 

 

私と元カレについては過去記事を見ていただければあれなんですけど。

in6nn.hatenablog.com

 こんな感じです。

降りた原因は方向性の違い。

キラキラアイドルが大好きな私には、バンドは耐えられなかったただそれだけのこと。

 

 

 

それからというもの、私が萩谷くんに会いに行く機会はありませんでした。

Zeppやら湾岸やら、コンサートはこなしていた彼らだけど、お呼ばれしなかったし。

頑張ってチケット探してまで行く、そんな気持ちはさらさらなかったし。

そんなこんなで決まった横アリ単独公演。

へえ、横アリか。と思ったけど、お呼ばれせず、行かなくていいかなぁとか。

 

 

ただ、そんな時期に流れた噂。

もし、もしその噂が本当で、このステージが彼の最後のステージとなったら、私はどう思うだろう。

入らなかったことを死ぬほど後悔する。

自分を責める。

悩みに悩んで、悩みながらチケット探して、結局入りました。結局。

公演当日の朝にも色々あったんだけどね。色々と。

 

 

 

会場はいって、いつもの森田担に「なんでいるのwwwうけるんだけどwww」と笑われ、「てへてへ~楽しめかな~」なんて笑ってたんだけど、結果論からいうと、楽しかった。

コンサートが始まって、正直、じゃんぷコンの時のようなわくわく感はすでに持ち合わせてなくて。

けど、彼らのファンが、彼らを見るためだけに集まって、しかも横浜アリーナうめてると思ったら素直にうれしかったし、なぜか誇らしくなった。

 

 

 

1曲目は端折るけども(諸事情)、問題は2曲目<言葉より大切なもの>。

イントロ流れて、阿部顕嵐さん(フルネーム)が「切り取った~」と歌い始めた瞬間私号泣。

私が大好きだった、萩谷くんに担降りを決めたABC-ZのSUMMARY。

その中のジュニアコーナーでの1曲目がことたいだった。

安井くんが「きーりーとっツァ!」と歌うのが死ぬほど好きで(馬鹿にしてない)、すごくワクワクしたのを覚えている。

バックで歌っていたあの曲を、1フレーズだったあの曲を、横浜アリーナで、メインで歌っている。

その事実が死ぬほどうれしかった。

さらには「疑うことなく~」をオタクに歌わせたあいつら天才カヨ。

 

 

まあそのあとは正直、はいはいこの曲ねという曲ばかりで。

彼らの現場に行かなくなってわりと時間はたっているはずなのに、私の知ってる曲あるとかこいつら大丈夫か?

いや、今応援してる人たちもセトリの組み方へたくそだし、、、と色々考えながら見ていたなんてそんな。

 

 

 

ただね!?もんだいはね!?NO WAY OUTですよ!!?!?!?

阿部顕嵐さん(だからフルネーム)が「ペンライトおけるか!!!!」と叫んだ瞬間に懐古厨なオタクは悟るわけですよ。

いや、あれは阿部顕嵐さんではなく佐藤有翔さん。

メンバーは違うけど、ユニットも違うけど、

だけど大好きなCloud5がそこにいて。

大好きだったころの萩谷くんがそこにいて。

大好きなあるはる(阿部さん演じる佐藤有翔-あると-と、萩谷くん演じる小川晴也。通称あるはる)がそこにいて。

1万人がペンライトおいて手拍子している姿は圧巻だった。

 

いつだっていつだって欲しがってたものがあった。強がっていただけで、ずっと届かない。

 

ドラマの最終回とともに、時が止まってい私とクラファイの時間が再び動き出して。

らぶとぅーんではなくて、クラファイが横アリ単独公演をしている錯覚に陥って。

大好きだったあのころを思い出して、涙があふれてきた。

本当に本当に大好きだったんだなと。

 

 

 

 

 

公演後、森田担と、元安井担と合流してご飯に行ったんです。

はじめはみんなへらへらしながら話してたんだけど、お酒2杯ぐらい飲んだら元担2人ちょっとおかしくなって、泣き出すわけですwww

大好きだったな、って。

 

降りたことに後悔はしてないし、今の担当を応援するのは楽しい。

だけどコンサートに入って心の底から、応援してきたよかったと思った。

もともとは600人のキャパの会場でやってて。

それを横浜アリーナでやってるってすごくない?感動しない?

先輩のバックじゃなくて、ジュニアコンでもなく、単独で、7人だけで。

降りたことには1ミリも後悔はしていない。

コンサートは楽しかったけど、担当をできるか?と聞かれたら首を横に振ります。

だけど、だけれども、応援してきた本当によかったと思った。

彼が、元カレが楽しそうに、幸せそうにしているのを見ることが出来て本当にうれしかった。

萩谷くんのことを思って、悔しい悔しいって泣いたこともたくさんある。

今でも悔しいなって思うことはたくさんある。

だけど、あの顔みたらもうどうでもいい、なんでもいい、だって楽しそうだもん。

萩谷くんの幸せが私の幸せだから。それでいいんだなぁ。

 

 

担当という肩書で迎えられなかったことは正直悔しい。

だけど、私がいうことじゃないけど、横浜アリーナに連れてきてくれてありがとう。

最高の景色を見せてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

ただねぇ、謝りたいことがあってですね。

チケットを譲ってくださったお姉さまたちに、元担であることを伝えられなかんですよ(笑)

ペンラもない、名前うちわもない、やる気のないオタクで申し訳ねぇって感じでした。

きっとお姉さまたちは、わたしがボロボロ泣いていたことには気づいてないんじゃないかと思う。

やる気ないうえにボロボロないて、本人に気づかれてるのに大した反応もせず、怪しい人だっただろうなぁ。

このブログを読むことはないだろうけど、もしもう一度会えるのであれば全力で謝罪がしたいです。

私と元担の話

 

 


先日、お題箱とやらで元担について聞かれたから、長々書こうかと思ってやってきました。紗子です。

 

 


前回の話とかぶるところは多々ありますが、大目に見ていただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな人を好きになったきっかけって、なんだかこう、色々あるもので。私の場合は漢字でした。
まっすぐに伊野尾担をしていたあの頃、田舎の高校生は雑誌の<フレッシュJr.大特集!>みたいなページを見るのが好きでした。毎月3冊必ず買って、フレッシュJr.のプロフィールを見ながら、「この子は◯◯くんに憧れてるんだ!」とか「この子は高校生で事務所入ったのか…」とか事細かにチェックした。


そこで出会ったのが彼である。萩谷慧悟くん。


いい機会だと思ってステマするけど、入所は2007年12月19日。SMAPのようになりたい!と自ら履歴書を送り事務所に入ります。初ステージはJUMP初のドームコンサートでした。


はじめは「同じ漢字が使われてる」という、ただそれだけの理由だった。知ったきっかけはただそれだけの理由だったけど、顔も好みで、ああ可愛い〜〜!とゴロゴロと沼に落ちて行った。私が沼に落ちた直後にHipHopJumpというユニットを結成することになる。

 

 



私と彼が初めましてしたのは、2009年の春だった。彼にとってはじめての遠征、JUMPのツアーで大阪に。当時彼は小学校卒業直後。学年的には中学1年、入学式直前ぐらい。まんまるで大福みたいだった。踊ることに必死で、呼びかけるオタクに振り返ることもなく。踊り狂いながら花道を進んでいく姿を今でも覚えてる。


彼はとんでもなく、まわりが見えなくなる性格だ。


その後はJUMPのツアーに行くと、必ず彼がいた。「遠くの自担より近くのJr.」思考だったもんだから、伊野尾くんが近くにいなかったら、萩谷くんを見た。見ればみるほどゴロゴロと沼に落ちていく。初めて生でソロパートを聞いた時は崩れ落ちた。となりの高木担に「立って💢」と怒られたのは忘れられない。


さて程なくして、彼はあるものと運命的な出会いを果たす。ドラムだ。いつだかの雑誌で「JUMPのコンサートでの裕翔くんを見て」と言っていたが、そうらしい。裕翔くんの影響で、ドラムを始めました。


その直後のサマリーでは、上の人に直談判し、ドラムとしての出番を作ってもらったり、当時Jr.内にあったバンドQuestion?のドラマーにアドバイスを貰ったり、彼は本気だった。なんせ、まわりが見えない性格だから。


だから彼は、ズブズブとドラムの沼にはまっていった。彼が見たドラマー裕翔くんは、裕翔くんだ。スポットライトが当たり、カメラにぬかれ、ソロパートも存在する。でもそれはデビューしてるから、人気があるから、裕翔くんだから、そうなだけで、彼みたいなバックバンドのドラマーはそうではない。


スポットライトは当たらないし、カメラには抜かれない。だってバックバンドだから。だって前にデビュー組がいるから。当たり前である。


沼にハマった彼は、明らかにダンスが下手くそになった。もともと上手くはなかったし、わりとクセのあるダンスだった。だけど私はそのダンスが大好きだった。ドラムにハマって以降、立ち位置がはしっこや後ろになることが増えた。おそらく彼は気付いていた。おそらくだけど。


それでも彼は、ドラムはやめなかった。まあ私も、ドラムを叩く姿も嫌いじゃなかったから、やめてほしいわけじゃなかった。

 


 

伊野尾くんを降りるきっかけとなったのは、Over発売直前のあの事件。その後はふらふらとし、伊野尾くんを降りる決心をしたのは2月末だった。その<降りる決心>をさせたのは、他の誰でもない、萩谷慧悟だった。


まず、2012年の年始のJUMPコンは、6回入った。間違いなく、萩谷くんを見るために。横アリと大阪、1週間で6回。大阪の立ち見は、彼の立ち位置が見やすい場所を求めてウロウロ歩いた。自分のメモを見返しながら「次の出番では、あの花道で下手側を向いて踊るから、この出番が終わって、次の出番までの2曲の間に下手側まで移動しよう」と何度も計算し、何度も移動した。この頃から、たぶん心は決まっていたんだ。

 


 

そして運命の2012年2月。この月は日生劇場A.B.C-Z座長公演<A.B.C座>という舞台が行われていた。もちろんそれに、萩谷くんも出演していた。当時はまだ中学生だったために8時以降はステージに上がれない。決して多い出番ではなかったけど、舞台で頑張る萩谷くんを見に、日生劇場に通っていた。その千秋楽。Jr.がメインで出演するドラマの話が出たのだ。そこに、萩谷くんの名前はなかった。ただ、萩谷くんと同じユニットに所属していた人の名前はあった。


すごくすごく悔しくて、布団の中で泣いたのを覚えてる。頑張ってるのになんでだ?どうしてだ?選ばれた子達もたしかに頑張ってる。なのにどうして?何度も何度も考えた。


HipHopJumpは田中樹、森田美勇人とか、ジェシー諸星翔希とか。わりと流動的なユニットだったが、田中樹と萩谷慧悟だけは、結成から解体までユニットに属していた。樹と一緒にセンターだってわっていた。所詮2番手なのは知っていたけど、それでも受け入れられなかった。


「私が応援してあげなきゃ」


その一心で、降りる決心をした。ただ好きなJr.に辞められた直後だったもんだから、Jr.に降りるのが怖くて、伊野尾くんは降りるけど、萩谷くん担当ではなく、ふらふらと萩谷くんを応援していくスタイルだった。と言っても、会う人会う人に「萩谷担じゃないの!?」と言われるレベルで萩谷くんのことが大好きだったし、正直彼のうちわ以外は持つ気なかった。持ってたけど。

 


 

正式に担当名乗る決心をしたのは、A.B.C-Zのサマリーだった。東京公演に安井くんたちとともにメインバックを務めていたのだが、名古屋公演にもつくと聞き、台風並みのスピードでチケットをかき集めた。掲示板、ツイッターmixi、ひたすら連絡を出しまくって、一枚もチケットがなかったのが気付いたら5枚ぐらいになっていた。


名古屋でなにがあったかというと<ふれあいタイム>だ。オタクは椅子に座ったまま、メンバーやJr.が客席をまわり、オタクと握手をしてくれるという企画だった。有難い、萩谷くんと握手をする機会があるなんて。1回目の握手は、名前を呼んだら握手をしてくれた、ただそれだけだった。だけど嬉しくて涙が出てきた。降りよう。そう決めた。それだけ、好きなんだ。


萩谷担初日は今でも忘れられない。運良く通路横のチケットを譲ってもらうことが出来、ふれあいタイムで萩谷くんが来るのを今か今かと待っていた。彼に私のうちわは見えている。どうしてって、私のうちわを見て「わかったわかった」と手を挙げたからだ。手招きしたのに。「後でね」と言わんばかりに手を振ってきた。正直イラっとした。その後、私の座る座席の通路に登場したのだが、反対側を向いている。私は彼のおしりしか見えない。待ってたのに。イラついたから、彼の力の抜けている左手を自ら掴んだ。それでも彼は反応しないんだ。慣れてるから。腹が立ったから、こっち向け!と手を引っ張った。彼はすごい顔で振り返り「わかった!わかったから!わかった!!」と引きながら何度も言っていた。正直、可愛かった。

 


 

その後は彼の現場にひたすら通った。ジャニーズワールドやフレッシュJr.コンサート、野球大会、キスマイツアー。彼が出ると聞けば、バイトは休んだし、たまに地方にも行った。レポを流してくれる人が少なかったから、自分で見るしかなかった。だけどそれが楽しかった。

 



彼の転機の1つは、山田涼介のミステリーヴァージンのバックについたことだ。岩本照、深澤辰哉、安井謙太郎諸星翔希、森田美勇人、そして萩谷慧悟。謎選抜とよばれた6人。彼はこのメンバーの中でダントツに踊れなかった。それでも息を切らしながら、遅れながらも必死についていこうとした。当時の少年倶楽部を見てもらったらわかるが、ミスヴァの後半は、彼はもうスタミナ切れだ。口は半開き、1列になるシーンで間に合わず、入るスペースもない。それでも彼は必死だった。


彼らの初の単独公演であるシアタークリエで行われたジャニーズ銀座。本当に本当に彼が楽しそうで、私も楽しくて、今思い出してもワクワクする。だって大好きな踊ってる彼がたくさん見れるわけだから。


ただミスヴァの宣伝期間も終わりしばらく経つと、ほぼ自然消滅することになる。岩本深澤は、もともとのユニットSnowManに。まあそれはそれでいいから、文句はなかった。残された4人(安井諸星森田萩谷)はオタクから謎4呼ばれ、4人で過ごすことが多くなった。まあ、思い返せばそこからだった。

 



私は、謎4が好きだった。今でも好きだ。萩谷くんのことを大切に大事にし、間違っている時にはちゃんと「違うと思うよ」とアドバイスをくれるお兄ちゃん的存在の安井くん。萩谷くんの話を熱心に聞いて、受け入れてくれ、萩谷くんがどんな(愛のある)暴言をはいても「まったくも〜〜そんな言葉つかわないの!」と優しく接してくれるモロ(諸星)。年は萩谷くんが1つ下なのだが、萩谷くんが見下している相手が彼、森田美勇人。「だってみゅーとさ!」「はぎちゃんさー!」と可愛い喧嘩を見るのがたまらなく好きだった。


この4人で過ごすことが増えると、ドラムセットに座ることも増えた。ドラムが叩けると、わりと仕事は増えた。ジャニワの感謝祭で、コンサートのスタートの合図が彼のドラムだった時は震えた。ドラムのおかげで、ドラマー役で深夜ドラマに出させてもらえた。コンサートの出番も増えたりした。だけどそれと同時に失うものもあって。ダンスナンバーでドラムを叩かざるを得ない場面もよくあった。「このダンス好きなのに!」「みんなでワチャワチャしてて可愛いのに!」それなのに彼はドラムセットに拘束された。

 


 

私は彼のドラムを叩く姿は好きだった。素直にかっこいいと思っていた。だけどそれはダンス:ドラムか8:2だった時であって、それが逆転するとつまらなく感じた。通常のコンサートでは、ドラムの音源は流れてる。それに合わせて萩谷くんはドラムを叩いている。つまり萩谷くんがいなくても平気。


ドラマのエキストラに行った時、「ハル(萩谷くんの役名)メインで撮るよ」と彼をアップで撮る時だけ、ドラムのミュートが外され、本気で叩く。それは死ぬほどかっこいい。あれはやばい。ただそれ以外は本気ではない。まあドラマの撮影は5時間とかぶっ続けで叩いてるから、全部本気だと彼は死ぬんだけど。コンサートとか、舞台の話でも、本気ではないわけじゃないだろうけど100ではない。85ぐらいかな。けどその25が重要で、100で叩くと彼も疲れるけど、見てるこっちも疲れるぐらいかっこよかった。


見栄えの話だからこそ、萩谷くんが拘束される意味が理解出来なかったし、悲しかったし、辛かった。だけど彼は、彼らは、売れるため、チャンスを掴むために、今Jr.に存在しない<バンド>として自身を売り込んでいくしかなかったんだ。


その間に私はカラフトに行き、carnivalに入り、京セラカウコンにも行き、戻ろうかな?でもなあ…と、踏みとどまっていた。

 


 

大きなきっかけになったのは、2016年5月6日のシアタークリエ単独公演だった。安井、森田、真田と萩谷くん4人での公演。初日ということもあり、ドキドキしながら入った。コンサートが始まり数10分、彼の姿はステージ上にない。いつもこの曲の時はいるのに、彼だけいない。おかしい。これはもしかして。その曲が終わると、たしか安井くんが「次は萩谷慧悟」的なことを言って(正直よく覚えてない)、ステージ上段から現れたのは、当たり前に彼1人だった。夢にまで見たソロコーナーだった。謎選抜でのクリエ以降、毎年毎年出演していたけど、ソロコーナーはなかった。だって人気ないから。同じ公演に出る安井や京本、ジェシー。コンサート尺は1時間半。人気どころにソロコーナーをやらせるのは当たり前で、とくにそれを不満にも、不思議にも思ったことはなかった。だって人気ないから。だけど毎年、来年こそは…!と思っていた。


彼が1人だとわかった瞬間、涙が止まらなかった。彼の歌声だけが会場内に響く。ボロボロ涙が溢れて、涙で前が見えなくなった。正直、何を言っているかわからなかった。それでも、彼がステージに1人で歌っている、その事実が辛いほど嬉しくて、まっすぐ前を見つめることが出来なかった。あの日のことは今でも忘れられない。その後の公演で今のユニットLove- Tuneが結成されることになる。

 



その後の夏のEXシアターでの公演は、行事前の平日が多く、行かない選択をした。唯一行ける日(早番)は、JUMP8月の横アリ初日だった。どっちに行こうか悩みに悩んで、横アリに向かった。そのかわりといってはなんだが、8月の代々木でのA.B.C-Zでのコンサートに入った。萩谷くんが出てるというから。えびの曲を踊る彼が好きだったから。だけどどんな彼の姿を見ても「好きだったなあ」という過去形でしか思い浮かばなかった。日替わりメドレーで<砂のグラス>が流れたのだが、それを踊る彼を見た途端涙が溢れてきた。私は、こうやって踊る彼を見たいだけなのに、どうしてこう、叶わないんだろうか。

 



森田担に誘われて(?)とりあえず入ることを決めた9月のDREAM BOYS。やっぱり踊る萩谷くんは好きだから、楽しかった。前半は。前半はね。ショータイムもわAAOを踊る萩谷くんを見て泣いた。やっぱり可愛い曲を踊る萩ちゃんが大好きだと。だけどその後は彼らのユニットのオリジナル曲を聴いて涙は引っ込んだ。あの曲を悪くいうつもりはないのだが、私には合わなかった。ただそれだけ。その後ご飯を食べながら担降りを決意した。4年と17日。

 


 

なんで降りたの?と聞かれたら、方向性の違いと答える。私が見てきたのは、キラキラ爽やか系アイドルだった。ジャニーズだから出来ることをやってほしかった。別にバンドを否定するつもりはない。JUMPだってバンドをしているし。だけどJUMPコンのバンドコーナーとそれ以外の割合って2:8ぐらいじゃない?それが逆になり、バンドが増えたらたぶん私は耐えられない。


彼らは悪くない。Jr.戦国時代と呼ばれている今、ダンスでも、アクロバットでも、人気でもどのユニットにも勝てない。唯一存在しなかったのがバンドだったんだ。彼らはバンドを選んで正解だったと思う。なんせ楽しそうだから。Zeepでのライブを掴んできたと聞いて、すごいなぁと思った。それなりに実力はあるんだろうし、彼らはバンドを選んで正解だったと思う。


ただそれは、集合体として、客観的に見た話であって、当時<萩谷担>としてみれば、私は嫌だった。


ドラムを選んだのは彼だ。ただ、彼のダンスの場を奪ったのは間違いなくドラムだ。彼はまわりがすぐに見えなくなるから、たぶん、ファンに求められていることとか、そういうことには興味ない。私生活でもそうだ。基本的にJr.の仲間とはつるまない。他の人たちが仲良くても、自分だけ誘われなくても気にしなかった。誘われたら行くけども、途中で「家でご飯食べるから帰ります」と1人で帰るタイプのヤツだ。たぶん誰がひき止めようが帰る。まわりに求められていようが関係ない。


そして彼はとんでもなく向上心がある。ドラムが上達するように、アドバイスをもらったり、部屋を防音にしてもらうだとか、電子ドラム買っただとか。だけど私は、その向上心が、たまに嫌になっていた。私はただ、コンサートを楽しんで欲しかった。だけど彼の雑誌のインタビューを見ると「今は◯◯のツアーにつかせてもらってるだ!すごく勉強になる!」「初めてセリフをもらったんだけど、言い回しが難しい!もっと頑張らなきゃ!」。それで?その先輩のツアーは楽しい?セリフもらえて嬉しくないの?そりゃ、わかる。わかるんだけど、それを言葉にしてほしかった。まっすぐに「楽しい」って。機嫌が悪いのは顔にも態度にもすぐに出る。彼を見てたら楽しいんだろうなとすぐにわかる。それでも言葉にしてほしかった。




そもそも萩谷担にはダメ出しをするタイプは少なかったように思う。私はツイッターでもブログでもズバズバ言った。気分の浮き沈みが割とある子だったから、舞台中に下ばかり向いてた日には、本当に不満を垂れ流した。本当に腹が立った時は匿名でファンレターを出したこともある。ダンス下手くそになった、ドラムばっかりやってんじゃねぇ、髪型似合ってないんだよと、悪口を綴って。最低な話だが、そうやって思っているファンがいることを知っていてほしかった。ドラムを叩く姿が嫌いじゃないことは必ず書いた。ただ、ダンスが見たいだけなんだと。読んでいたかは、わからないけど。だけど、褒めるだけのオタクにはなりたくなかった。


彼のことは、本当に好きだった。とくになにが出来るけではなかったけど、本当に大好きだった。東京ドームの花道を、両手を広げて気持ちよさそうに走る姿がなにより好きだった。この子はジャニーズになるために、アイドルになるために生まれてきたんだって、そう思ってた。どんな失敗も、可愛いなあって思えたし、他の人たちが萩ちゃん可愛いねえって甘やかしてくれるのも大好きだった。高校生になり、8時以降にステージに上がれるようになったこと、初めてセリフがもらえた舞台、彼のお仕事は基本的に抜けなく見てきたつもりだし、節目節目には、必ず立ち会えるように、コンサートに入るようにしてきた。それくらい大切な存在だった。


中でも、香取慎吾主演ミュージカル<オーシャンズ>は、最高の現場だった。Jr.の中でもメインをはることが多くなっていたころ、一心不乱に踊る姿を見れるあのミュージカルは、本当に楽しかった。大物俳優にかこまれ、出番は少なかったが大満足だった。こんな萩谷くんが見たかったんだと何度も思った。


降りるまでには悩んだし、たくさんたくさん泣いた。引かれるぐらい泣いた。コンサート行くたびにうちわも増えて、歓声も増えて、嬉しかったし、複雑な感情もあった。まあそれは、なんかこう、ヤーダー人気出てきちゃった!的なアレだと思うんだが。何度も何度も降りるかも、と思ったけど、それでも彼は私の手を離してくれなかった。オタク的気持ち悪い書き方をすると、最後に手を離したのは、間違いなく私の方だ。

 



「萩ちゃん萩ちゃん言ってるさこさんが恋しい」なんて言われることは今でもある。それぐらい、毎日萩谷くんのことを呟いてた。萩谷くんの幸せが私の幸せだった。萩谷くんが幸せなら、私はそれでよかった。だから、きっと今、彼が幸せなのだから、私はそれでいいんだと思う。